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その他の文化財

その他の文化財1126 国家や市指定文化財には指定されなくても歴史的価値が大きい文化財を紹介します.

その他の文化財 国家や市指定文化財には指定されなくても歴史的価値が大きい文化財を紹介します。

仁川監理署址

位置, 時代

位置 仁川広域市中区内洞83(仁川広域市中区内洞)
時代 朝鮮末期(朝鮮末期)

仁川監理署址は内洞に所在し、昔の裁判所のあった所である。
仁川に監理署が設置されたのは、開港年が高宗20年(1883) 8月19日であるが、開港場であるここへ庁舍を建築した時期は確かではない。
初代監理仁川港通商事務に任命されたのが趙秉稷であるが、当時監理が管掌した事務については通商事務のほかに具体的に明らかになっていないが、 建陽元年(1896)に復設された「各開港場監理復設官制」によると、監理は各国領事交渉と租界と一切の港内事務を管掌させる」となっており、監理が開港場内の一切の事務を管掌したことが分かる。
ところで甲午更張の一環で、高宗32年(895)5月26日、地方制度が改編されるに伴い、仁川など3港の監理署が廃止され、全国23府の 行政区域に改編され、各府に観察使を置くようになった。
行政区域に改編され、各府に観察使を置くようになった。仁川府は仁川、富平、金浦、陽川、始興、安山など12郡を管轄するようになり、仁川観察府が済物浦に設置された。
この時の仁川府は監理署を庁舍に使っていたものと思われ、監理事務は観察使に吸収された。
しかし、翌年の建陽元年(1896)に再び地方制度を改正して23府を廃止し、全国に13道を設置するに伴い、同年8月7日に開港場の監理が復設されるに至った。
この時の監理は外部大臣の指揮・監督の下、各道の観察使と平行相対して、各郡守や警務官に訓令・指令し、牧使や府尹には港務に関する事項を指令するようになった。
このように見ると、当時の監理は外部所属で、内部所属の観察使と対等な地位で港内事務を管掌していたことがわかる。
しかし、光武10年(1906)に総監府と理事庁が設置されるに伴い、監理が 廃止されて監理事務を日本の理事庁が代行するようになった。
監理署内には本庁以外に警察署と監獄があり、高宗32年(1895)閠5月10日に仁川開港場裁判所が監理署内に設置されたが、この裁判所が何度か名称が変わり、解放後、ソウル地方裁判所に改編された。