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中区の歴史

中区の歴史

外国勢力の圧力による開港から自主開港へ・・・

インチョン(仁川)の歴史は「ミチュホル」から始まる。ミチュホルは紀元前18年ごろ、ビリュ(沸流)が新国家建設の待望を抱いて創った都市である.
その後、「メソホル」(買召忽)、「ソソン」(邵城)と名前がかわっていき、高麗の時の王妃の故郷ということでキョンウォングン、インジュ、キョンウォンブに昇格.
太祖元年(1392)にインジュに変わり、太宗13年(1413)、地方制度の改編の際、仁川郡となり、ここではじめて「インチョン(仁川)」という名前が歴史に登場したのである.

漁船がぽつぽつと浮かんでいるだけの、しずかな漁村にすぎなかった現在の中区海岸地域にあたるジェムルぽ(済物浦)は、1882年5月韓米通常条約の締結により欧米列強の軍事的要衝地と各国の政治外交活動の中心舞台となる.

外征による強制開港とはいえ、いったん門戸が開かれるやジェムルポには人や物資が洪水のように押し寄せ、わが国の文明開化の先駆けの役目をする.
その一方、仁川の歴史の根源というべき文鶴山付近の仁川邑(現在の官校洞)は急速に衰退の道に入る.

1949年に地方自治製が実施され仁川部は市に昇格し、1956年に序列によって中区の前身というべき中部支所が設置される.
21世紀の到来とともに、中区はふたたび飛躍のきっかけをつかんでいる.
去る2001年3月29日、‘東アジアの地中海’と呼ばれる西海の上に新しい空の道が開かれたのである

また2001年6月26日、仁川市最初の観光特区であるウォルミ観光特区が全国で21番目に指定を受けた.

これにより中区は、単純な航空交通の中心地だけではなく観光、交通、情報、物流、商業、ショッピング、レジャーなど人と文化そして情報が1箇所に集まる交流の場となることである.